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フラップ代表飯塚晃のモチベーションUPブログ

国語力の伸ばし方

2008年05月13日

先月に続いて 国語の伸ばし方について記したい。前回の内容は読解の基礎的な心構えについて少し書いた。国語の読解は「自分が何を感じるのか?」ではなく「作者や出題者が何を言いたいのか?訊きたいのか?」が重要なのである。 小学生低学年のような感受性を中心とした国語観ではなく、正確で素早い情報処理能力の訓練に主眼を置くことが肝要である。 そのような内容だった。 今回は「作文」「文章作成」能力の伸ばし方についてである。ここ数年 大学入試、高校入試、一部の中学入試でも「文章作成能力」が問われる場合が多い。「作文」、「小論文」である。 子どもたちの多くはこの作文が苦手である。6割苦手な生徒、3割が普通。1割が非常に上手い生徒。そんな感じで分類されている。苦手な生徒が決まって言う台詞がある。「何を書いていいのかわからない。」「何も書くことがない。」例えば、作文が苦手な生徒が遠足の作文に取り掛かっているとする。 開始して15分、何も書けない。25分 「私は筑波山へ行きました。とても楽しかったです。」 後が続かない。 結局 遠足当日の朝起きてから帰るまでを時系列で綴った作文が最高傑作となってしまう。さて、作文が書けない生徒にどのように指導していくか?最悪な指導方法は…「感じたことや 思ったことを書けばいいのよ。」 という台詞を口にしてしまうことである。それが出来ないから本人は苦労しているのである。 美術の授業で「見たまんま 画用紙に描けばよい。」そう言われて描いても、イヌがロバにしかならないのと同じである。感じたとおりに ピアノやギターを弾くことが普通は無理であるのと同じように感じたことを文章に起こすことは難しいのである。 作文が苦手な生徒のほとんどは この「感じたまま」の「言葉」で原稿用紙を埋めようと苦労をしている。自分が感じたことを正直に表現している言葉や文章が天から降りてくるのを待っているのである。 そんな僥倖は100年待ってもありえない。 作文を書けるようにするには、作文の正体を教えてあげることが先決である。作文の正体とは…実はたいしたことは書かれていないんだよ。言いたいことは一つくらいしかないんだよ。それを教えてあげることである。ほとんどの文章は 主題と修飾文といえるエピソード、例示で構成されているに過ぎない。それもほとんどがフィクションか借り物なんだ。みんな文章をそうやって書いている。それに気がつかせる。 そのために必要なことは…自分で勉強する、自主勉強で一番力のつく方法は何か?模写である。昔から言われている新聞の「天声人語」でも「産経抄」でも 気に入った作家のエッセイでも良い。 短めの文章をひたすら写すのである。読むのではなく書いて写すことがポイントである。それも原稿用紙に、手書きで写さなければいけない。問題を解くのでもない。暗記をするわけでもない。ただ丁寧に丁寧に書き写すのである。 「そんな単純なことで作文が書けるようになるの?」 間違えなくなるのである。ただし、才能がある人は3ヶ月、普通は6ヶ月 週に5日のペースで継続して欲しい。 半年間、ほぼ毎日、30分間 新聞のコラムを書き写すと「語彙力」が飛躍的に増す。当然「漢字力」が増す。そして文章の骨組み、骨格が身についてくるのである。(新聞のコラムは段落が記し付きで区切られている。) 新聞のコラム、筆者の主張は ほとんど1行、2行で言い尽くされている。それ以外の部分の構成を書き写すことによって自分の身になってくるのである。自分の文章の決まり技、パターンを身につけるのである。 

 ただ、人間と言うのは我侭なもので 3日や1週間続けると「分かった気」になるものである。特に大人になればなるほどその傾向が強い。「分かった」だけで「身についていない状態」になること多い。やはり最低3ヶ月間 文章写しを続ける必要があるのだ。自分の作文の決め技(文章パターン)を持つと作文を書くことが苦でなくなる。続けることが大切である。             

国語の伸ばし方(2008年 4月教室便り)

2008年04月08日

常識的な話だが、国語は全ての学習教科の根幹を成す科目である。

文科系、理科系など関係なしに 国語力の有無は「日本で教育を受ける。」「日本で生活、仕事をしていく。」上で重要なことは勿論、日本人のアイデンティテーを確立するためにも不可欠なものだと思う。

 

 今回は小学生高学年、中学生、高校生が国語を学んでいく上での誤解されている内容を記していきたい。次のような言葉、セリフは誤解、間違いであり国語を学んでいく上で障害になりうる考え方である。 これらの発想を転換することによって国語の点数が飛躍的に伸びる生徒が多い。

 

 一つ目の誤解は「国語は正解が一つじゃないんだよね。色々な答があるんだよ。」ウソである。 確かに 解答が複数ある場合もある。要旨が同じならば正解という場合も多い。しかし、それは国語という教科が特別な科目という意味にはならない。 設問が問題として成立するためには解答を論理的に説明できる裏づけが必要である。国語という教科が複数の解答を許容する。ということは絶対にありえないのである。

 

 同じような誤解は「文章の感じ方は個人、個人によって異なる 色々な答えがあっていい。」こんな考え方が認められるのは小学生低学年か「相田みつお」くらいである。

 

 感じ方はいくつあってもよいが、解答は一つなのである。同じ文章で各人がバラバラな認識を許容したら言語の意味がなくなってしまうではないか。問題に解答を当てはめる作業はイデオロギーとはまったく異質な作業であることを意識しないといけない。「個人の感じ方の自由」とか「子どもの感性はすばらしい!」などのイデオロギー的な感覚とはまったく別物の意識を持たないと国語は伸びない。

 

 国語という科目が学科として成り立っているのは、知識と論理的思考が必要とされているからに他ならない。また正確な語彙力(知識量)と正確で速い情報処理能力を求められていることを認識しないといけない。

 

 文章を読むときに「自分が何を感じるのか」ではなく、「筆者は何を言いたいのか」を意識することが受験国語学習のスタートなのである。正確で豊富な知識を基に 論理的に設問に対して解答を求めていく。他の学科となんら変わりないのである。この意識を持つと国語の成績は飛躍的に伸びていく。     (二つめ以降は次月に続く)

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