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フラップ代表飯塚晃のモチベーションUPブログ

国語力、表現力というもの 2

2015年06月10日

表現力が入学試験での比重が高まる。という話題の続きです。

 

早速ですが、表現力・・・ここでは作文を考えてみたいと思います。

 

どのようにしたら作文の能力が高まるのか? 年齢、レベルで違うのですが

結論からいえば 他の勉強や習い事と同じようなステップを踏んで行けば

ほとんどの子どもの表現力は向上します。

 

例として適切かどうかはわかりませんが

ピアノや絵画のレッスンと同じような練習、稽古をイメージしていただければいいです。

 

ここで一番押さえて置かなければならないのは 表現力は才能ではない。ということです。

 

・子どもの自由な発想と表現力 とか

・天衣無縫な感性とか

 

そういうおとぎ話のような綺麗な言葉で表現力を捉えると何も進歩しません。

 

 

ピアノの初心者に  「自分の感情を鍵盤の上にぶつけてみろ!」と指示を出しても 無理でしょう?

 

絵のレッスンで 犬を前にして 「見たままに書いてみよう!」 が 得体のしれない未確認の獣が書かれるのはよくある話です。

 

 

 

私はピアノも絵画も素人ですが  恐らく  バイエルから始まる古典的な導入のルーティンレッスンが形作られているのでしょう。

 

絵画も 静物画などのデッサンをかなり力を入れて練習をするのでしょう。

 

 

 

子どもたちに文章の表現も指導するのも全く同じです。

これがなかなか理解していない人が非常に多いのです。

 

「自分の感じたことを書けばいいのですよ。」     あーなんと無責任な指導者でしょう。

 

そんなことを言われたら     「感じたこと?」

 

 

楽しかった。    それ以降は空白の状態・・・  そんなのは目に見えています。

 

 

 

 

次に文章表現力を指導する際に 絶対に避けなければならないことがあります。

 

 

それは    文章には芸術性、独自性、想像力を一切求めない。ということです。

 

 

 

え???  表現力って 独自的で想像性の高いものじゃない?

 

子どもも大人もそう思っている限り 創造性の高い表現力は身に付きません。

 

先ほど記したように

 

ピアノのレッスンで 初心者に  「さー 君の個性を発揮してこの曲を弾いてくれたまえ!」と要求する人は皆無でしょう。

 

 

 

静物画のデッサンは 緻密に技術を高める練習なのでしょう。

 

 

 

文章の作成同じです。  いきなり芸術性の高い文章を求めるなんて馬鹿げていますよね?

 

子どもたちの鉛筆が全然進まないのは その「想像力の強制」が原因なのです。

 

想像力を過剰に求めるが故に  想像力の芽を摘み取ってしまうという矛盾が生じてしまうのです。

 

 

それでは現実的にどのような方法で練習をしていけばいいのでしょうか?  次回に続く・・・

 

 

 

国語力、表現力というもの 1

2015年06月02日

ここ10年、15年のスパンで 徐々にですが変化しているのが

入学試験における 表現力の重視です。

少しずつですが 作文や表現力などの配点が増えてきました。

私立大学の入試でも難関校のAO入試では 記述の量は増加しています。

 

しかし国の根本の入試であるセンタ試験は変わりませんでした。

100年以上前から 入学試験は 速く、正確な情報処理の能力を試すものでした。

その頂点が センター試験マークシートの試験です。
情報課題を短時間に裁いて処理していく能力が試されます。

英語で最も差がつくのは長文読解の内容把握問題

国語では論説、小説の長文と設問を正確に読み取る能力です。

 

 

しかしそのセンターも2021年で廃止が予定されています。

巷間言われている方向性は

2つの入試が存在するらしい。

1つは 基礎学力の知識を問う問題。

2つめは現在の難関私立AOや国立個別などで行われている形式の 大学レベル到達度テスト。

 

1つめが知識量

2つ目が表現力や応用力などを見て 国際レベルの大学教育にどれくらいついていける能力があるかを

計るものになるらしい。

 

実はこの2つ目の表現力や応用力(この言い方自体も陳腐でうまく伝わりにくいのだが)こそ

知識量や暗記量以上に大きな個人差異がある分野なのだ。

 

何回かこのテーマで書いてみようと思います。

 

 

東葛飾中学入試コース 総合学習

2014年06月17日

今年度より東葛飾中学の適性検査対策コースをスタートさせました。
通常の私立中学入試対策と大きく異なるところは 所謂 「思考力」「総合的な学力」の有無を
計る部分でしょう。

文章読解力と表現力が根底にあってその上に知識を積み重ねていく。
そういった学習方法が必要になります。

現在4年生、5年生を対象にして 各教室で通常の学習対策は行っていますが
学科の枠を超えた「総合的な学習」を月に1回の割合で開催していく予定です。

 

第一回は 「文章の読み方と書き方の講座」です。

7月12日(土) 午前10時から午後6時まで 

講師は 飯塚(私)です。

 

定員数名 (5名くらいで手が回らなくなりますのでそのくらいの予定です。)
東葛飾コースでない方でも 興味ある方は1から2名くらいまでなら空きがあります。
もし興味あれば各教室に聞いてみてください。

 

ただ小学生の勉強とは少し趣は違います。

詳しき内容はノウハウなので書けませんが
読書して
調べて、検索して
講義を受けて
議論して 自分の考えをまとめていく講座です。
結構ハードだと思います。

 

ちなみにフラップの4年生5年生は無料です。

 

感性教育

2014年04月07日

前回の続きなんですが、

成績が伸びない人の特徴というか思い込みのフレーズを一つ紹介しておきます。

塾に行くと「頭が良くなる。」というセリフです。 

この勘違いをしている人は多いです。     塾の部分を、勉強をすると。に変えてもあまり意味は変わりません。

え?何が違うの? 何が間違っているの?と思いますか?

「頭が良くなる。」という言葉には「自然に」という意味、ニュアンスが隠れているんです。

昔 20年以上前の話にですが  パソコンが世の中に出始めたころ
このような誤解をしている人がいました。  「自動的に多くのデーターを魔法のように整理してくれたり、計算をしておいてくれる。」

当然そんな都合のよい話はなく、データーを一つ一つ丁寧に入力をしないとパソコンは情報処理をできないわけです。

勉強も当然同じです。  入力して、整理しないと 結果には結びすきませんし、  感性や感覚も同じです。

塾に来ると 筋肉量が増大して走るのが速くなるように 勉強もできるようないなる。  解けない問題がある日 解けるようになる。

そう勘違いです。

勉強って やったことや身に付いたものしか成果として現れないですよね。・・

いや!感性は勉強じゃないんだ! 暗記とは全然違うものだ! そう主張する人がいるかもしれません。

たしかに勉強や暗記じゃないかもしれませんが、  感性の発露っていうのは
人間の脳内にインプットされたことから発せられたことはまぎれもない事実です。
それが机に向かっていたか、遊んでいたかは  まじめに努力したか、ふざけたいたかは問題ではないです。

ただ脳に記憶された事項からしか 感性の発露というのはあり得ないのです。

ここを理解しないと勘違いな授業を行ってしまいます。  勘違いを生みやすい言葉、フレーズの代表例は

「子どもの感性を磨く」とか
「教育はエデュケート、引き出す。ことが教育だ。」 というものです。   確かに  かっこいい言葉ですよね?
どこが勘違いなのでしょうか?

子どもの感性を磨く。って 磨くっていうことは もともと人間には原石が生まれつき備わっている。ということですよね?
引き出すってことは 子どもには もともと何か備わったものがあるという前提ですよね?
それは違いますよね。

子どもが生まれた時は基本的には  子どもの脳は 新品のパソコンと同じです。(もちろん本能とかで元々備わっているのもあるが)
こちらから何もインプットしてあげないと  何も始まらない。何も磨くものがない。状態です。

彼ら(子ども)の脳に何も与えないでアウトプットだけを期待するような教育が大きな勘違いなのです。

まず子どもの脳内に情報、知識を多く入れてあげないと話が始まらないのです。

ただ 感性を磨くとか  エデュケートするという意義はこの後必要になるのです。   続く

雪が溶けたら 3

2014年04月04日

話は続きます。

感性教育と知識、論理教育をはっきりつける。という話です。

何度も書きますが、「 文章の感じ方は人それぞれ 十人十色で 全部正解です。」この考え方は
国語の力を伸ばす最大の敵です。

人権教育なら あなたはこの文章を読んで 何を感じても 何を創作しても、 何を発言、発表しても
統治機構である国家、政府からいかなる弾圧も受けることはないのだ。 とかいう話でぜんぜんOKなのですが

嫌!感性や感覚は自由な発想にこそ価値があるのだ。という人もいるかもしれません。

例えば 中学生(一部の小学生)が必ず学ぶ   「枕草子 春はあけぼの」で
学んでほしいのは 古典の導入ということはもちろんだか

・古人から伝わる 日本人の季節感や微細な感覚 を学ぶことだろう。

清少納言が 1000年前に切り取った 風景、情景に込められた情緒を
感じ取り それを日本人の感性と共通基盤とする。ことが大きな目的だと思う。

詳しいことはわからないが
ヨーロッパのある一定以上の教養のある人は
共通基盤に聖書やオペラやクラシック音楽 一昔前なら ラテン語などがあったことだろう。
感性とは 教養であり 知識の基盤の上に成り立っているのが古来からの真理なのだろう。

感性は突然のひらめきで生まれるものではないと思う。

国語、言葉の感性とは その言語を使う国民、、いや民族の歴史、財産であると思う。
長い歴史の中で研ぎ澄まされてきた言葉
文化や生活の中で必要な言葉

例えば日本には いろいろな種類の「雨」がありますよね。

春雨、小ぬか雨、五月雨、氷雨(これって歌の題名だけなのかな?)
 四季のある温帯モンスーン気候の中でいろいろな雨が 生まれてきましたよね。

こういう言葉とイメージと背景を頭の中に入れる(インプット)することが感性教育だとは
思いませんか?

また別の話例ですが
アフリカのある内陸国では「魚」を現す単語は数種類しか存在しないそうです。
大きい魚、小さい魚という具合にです。(ちなみにその国に比べて日本の文化が高いとは思いません。 
日本でも 猫→子猫 犬→子犬とただ子をつけただけですが、英語だと キティンとかパピーとかいいますよね。)

もちろん日本には魚へんのついた漢字だけで何十とありますよね。

鰹をカツオと読み。その姿と味を認識して(たたきとか。。) その旬を実感している。

これが感性教育ですよね

これを理解させていることが「感性教育」だと思うのです。

別に 意見を述べたり発表するのが感性ではないですよ。
やはり知識なのです。

続きます。

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