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フラップ代表飯塚晃のモチベーションUPブログ

一つ一つ階段を上り、キャリアを積みという道

2008年04月07日

この文章は2006年 8月の「教室便り」(塾内お知らせ)の内容を再掲したものです。

 

 もうかなり前のような感覚に感じますが、ワールドカップ ドイツ大会、日本は残念な結果でしたね。2008年に期待しています。というのも、今度に日本サッカー協会の技術委員長に小野剛氏が就任しました。小野さんは千葉県出身、私の高校の後輩になります。「そういえば、部活動が終わった後の水のみ場にこんな顔の人がいたなー。」くらしか覚えていませんが、・・(彼はサッカー部、私はバスケ部でした・・・) 当時の小野さんは決して、傑出した選手ではありませんでした。高校自体が県でベスト8,16くらいのレベルでしたし、その中でも普通の選手でした。同期や上級生にはもっと上手な選手がいましたし、習志野や八千代には(当時市立船橋は弱かった。)高校生離れした選手が何人もいました。大学はサッカーの名門筑波に一般入試で進学します。清水東を始めとするサッカーの名門高校から選手が数多く集まっていたそうです。特にひとつ上に元日本代表の風間選手は跳びぬけた存在でした。 大学時代は1軍半の存在、そして怪我による半年間のリハビリ生活を送ります。しかし4年次は副将としてチームのまとめ役を果たしました。 大学院でコーチ学を修めた後、助手としてサッカー部に残ります。その時の教え子がゴン中山や井原です。その後大学の研究員としてコーチ留学をします。小野さんが海外留学中に「ドーハの悲劇」があり、日本の選手育成システムが変化します。そのとき彼が日本サッカー協会の強化委員に大抜擢されたのでした。その後、岡田ジャパンでの日本代表コーチ、サンフレチェ広島での監督を経て、サッカー協会の技術委員長という大役につきます。

 彼は、選手としてプロ経験はおろか、インターハイ出場の経験さえもありません。高校時代のサッカー部連中も彼を評して、「体格も小柄で、技術的にはあまり見るところはなかった。性格も朴訥で不器用。しかし残り練習も最後までやっていた。まじめだった。」といっています。高校では地道な努力を、大学では研究を重ね。自分の目の前にある階段を一つ一つ登ってきています。

 大半の人間には、中田や中村俊輔やロナウジーニョのような才能はありません。しかし、逆を言えばそんな普通の人間でも、一歩一歩階段を登り、確実に自分の実力とキャリアを積み重ねていくことは可能です。地方の一公立高校の弱小選手が30年後に日本の技術指導のトップに立つ!少し爽快です。 私も 目の前の階段をひとつひとつクリアしていく勇気が湧いてきます。  

  

 

甲子園

2008年03月26日

春の 高校野球が始まっている。
千葉県からは 本当に久しぶりに2校 千葉経済付属と安房
どちらも緒戦は勝利 よかったね。

甲子園にでている連中が
昔は お兄ちゃんだったのが同級生から弟になり
いつの間に息子のような年齢になっている。

数年前に 幼馴染の息子が 甲子園に出た。
その話を 飲みながら聞いたのだ。

嬉しかったのは容易に想像できる 

「やっぱし 息子が入場行進とかヒット打った時に感動したのか?」

『うーん・・・ それも良かったけど、なぜか一番 グっときてしまったのはぜんぜん別の場面だった。』

「?」

『息子はセカンドだったけど、 1回に初めて内野ゴロを捕って アウトをとった時  
その格好、姿と嬉しそうな顔を見て  小学生の時を思い出しちまってな。
いつもノックしてあげて 何万発もノックしてあげたんだよ。
その時の情景が浮かんできてしまって 急に涙腺が緩んじゃってさ。』

とても不思議な気持ちだったそうだ。

甲子園のスタンドで 試合を応援しているのだが、 
頭の中には 息子さんが少年野球をやっていたころの夕焼け
泥だらけの顔 素振りの姿。

そんな映像が それこそ走馬灯のように蘇ってきたそうだ。

 

  「よかったじゃないか。」   

『うん・・・・』   グラスの氷を転がしながら彼はうなずいた。

    

オリンピック予選 縦軸と横軸

2007年12月05日

韓国戦、台湾戦とけっこう盛り上がりました。星野ジャパン、見事に北京への切符を手に入れてくれました。
前回の続きを少し書きたいと思います。

日本の男子団体球技で世界NO1になる可能性ある競技は野球だろう。
かつて世界一になった男子バレーは低迷。

団体球技は一人の天才の力では勝てない。
数人のトップアスリートだけでも勝てない。

歴史と幅広い競技人口、ファン層があってこそ 世界に通用するチーム作りが可能になる。

正岡子規がベースボールを野球と翻訳して以来 日本の野球は 常に団体スポーツの頂点にあった。
少年は「将来の夢」を「野球選手」と語り
甲子園の試合はすべて全国ネットで放映され
各町内に少年から中年までの草野球のチームが必ずあり
キイ局の女子アナウンサーは野球選手と結婚する・・・・

これだけ 太い縦軸(歴史)と横軸(裾野)をもったスポーツは日本に他にないだろう。
つまり、野球でダメなら 日本人は何やっても 世界に通用しない。ということになる。

本日の新聞のトップニュースは
日本の学力低下(高校1年生の学力はOECD加盟国でセカンドランクに位置する)だった。
数学が10位、読解力が15位
韓国、台湾に大きく水を空けられる結果となった。

我々が子どものころ 
「日本は資源がない。 勉強していかないと貧乏な国になるんだよ。だから勉強は大切なんだよ。」と母親に聞かされた記憶がある。
当時 冷戦状態 スプートニックショックにより 理系科目の充実が国策でもあった背景もあるが
学ぶことに大きな価値を置いていたことは紛れもない事実だ。

同じようにヒューマンリソースに大きな価値を置いている韓国、台湾、香港、フィンランドに 現在大きく水をあけられた現在

日本がこれから巻き返せるかどうか 私たちが 本気を出せば まだまだ戦っていけるかどうか?

大げさに言えば 星野ジャパンは勇気をと希望を与えてくれたよう気がする。

 

 

 

 

 

オリンピック予選 1 日の丸のために

2007年12月05日

 今から30数年前、日本のアメリカンフットボール界で

日大フェニックスが ショットガンフォーメーションを武器に無敵状態だったころ

篠竹監督は 

「日本のフットボールがアメリカに勝つ。そのためには人材だ。
今の日本は身体のでかい奴は大相撲、運動神経のいい奴は プロ野球に行ってしまう。」

そう嘆いていた。 確かに、その当時(昭和)の大相撲は今とは比較にならないほど

全国の後援会組織をもとにしたスカウト網があった。
野球にしても 当時Jリーグはなく。プロスポーツといえば野球が当然だった。
いわゆる 巨人 大鵬 玉子焼きである。
(大鵬ではなく北の湖や千代の富士の時代だけど)

それが現在の大相撲久しく日本人横綱がでていない。
満員御礼がでない。新弟子が来ない。
相撲をとっている子どもなど目にすることはない。
非常にさびしいことだが身体の大きな少年が立身、
ジャパニーズドリームを成し遂げる舞台としての大相撲は消えつつある。

一応の国技として伝統芸能スポーツとしてマイナーな競技として存続していくことになりそうだ。

一方の野球だが、一時サッカー人気に押され危機に見舞われたが
なんやかんやいってその地位は日本ではいまだにNO1だろう。

メジャーで活躍する日本選手の存在が大きいのはもちろんだが
国際試合の存在、WBCでの優勝を無視することはできないだろう。 
もし メキシコがアメリカに勝っていなかったら
日本が優勝していなかったら・・

WBCの決勝のキューバ戦 日本中が テレビを見ていた。
国中に一体感があった。野球を知らない人も 応援した。

「やっぱり野球は いいよな。」そんなことを感じた人がおおかったろう。

明日からオリンピックの予選が始まる。

世界的には・・・サッカーなどに比べれば マイナーと言われる野球だが
男子のチームスポーツで唯一 世界一を狙える競技だ。

 スポーツのよいところは理屈なしに
所属意識やよい意味でのナショナリティーを感じさせてくれる点だ。 

今回の予選は日本にとって、特に男子スポーツ界にとても大事なものになると思う

その理由は次回。(縦軸と横軸)で

 

 

 

世界フライ級選手権 

2007年10月17日

先日の亀田VS内藤の試合は私も当然テレビで見た。
結果および亀田一家に いろいろな批判が飛び交っている。 

亀田批判9 擁護1の割合の論調に対して 趣が異なる意見を発見した。

燃える闘魂「アントニオ猪木」大先生である。
(*ちなみに今 燃える闘魂を タイプしたら「萌える」「当今」と変換されて 一人で苦笑。)

↓が猪木の言った言葉である。

  http://www.nikkansports.com/battle/kameda/p-bt-tp1-20071015-270014.html

猪木の亀田への提言は「中南米での武者修行」である。
さすが猪木である。
さすがボンバイエである。

何がすごいのか?
この超ポジティブな思考とその完成された成功方程式だ。

・負けた亀田、反則した亀田を批判しない。 猪木にとって反則や20歳での失敗など、きっと「どーでもいい。」ことなんだろう。
まして「切腹しろ!」などとバカなことは言わない。
(*ちなみに切腹などできるわけがない。自殺と切腹はその根本がまったく異なるし
 武士でもなんでもない少年や青年に切腹が成立するはずがない。)

一昔前 プロレステレビがゴールデンタイムだったころ。 海外武者修行は 若手レスラーの登竜門だった。藤波も 長州も(小力じゃないよ。)今は亡きジャンボ鶴田も 片道航空券を握り締めて
アメリカマットに挑んだ。

身体の小さい者は さらに遠いメキシコのルチャリブレに挑戦した。
メキシコマット界の英雄 グラン浜田
県議会議員 グレートサスケ もメキシコ組である。

一人でプロモーターと交渉してギャラを貰い
レンタカーを借りて、安宿を自力で探し
スパーリングパートナーも自力で探す。
自分のキャラクターを冷静に見つめて 自分が善玉(ベビーフェイス)か悪玉(ヒール)かを決める。
前座からのし上がり メイイベンターの地位を勝ち取る。

海外修行を終えたレスラーは 大人だ。
当然現地語は堪能になる。(ちなみにメキシコだと スペイン語)
ビジネスの駆け引きも身につく。
精神的に強くなり。なにより多くの仲間ができる。
*私は海外で一番多くのビジネスパートナーを見つけたのは ジャイアント馬場だと思う。

修行先はアメリカでもヨーロッパでも アジアでもなく。 中南米である。
中米はいわずと知れた 中量級、軽量級ボクシング界のメッカである。
鬼のように強い連中がワンサカいる。 パナマ、ベネズエラ、プルトリコ、メヒコ

そんな今まで育った環境とまったく違う世界で
毎週 殴りあい、どつきあいを2年間でもやって いまのファイティングスタイルや
ファッションや言動ができるならとてもすごいことだ。

 

きっと猪木は 「生きること」の名人なんだと思う。

子どものころに祖父とともにブラジルに移民。
ブラジル船中で祖父が病死。
  言いだしっぺが亡くなった・・子どもとしてはさぞかし心細かったことだろう。
ブラジルで成長し
力道山に見込まれた。
(いきなり ごついレスラーに「お前上半身裸になれ。」はびびったことだろう。)
今度は逆に日本でレスラー修行。

アリ戦での多額の借金
会社経営や投資の失敗

そんな中 いまだに意気軒昂だからこそ猪木の

「元気ですかー!元気があれば何でもできる!」はすばらしい。
 

 

亀田くんはいままで 親の庇護のもとで生きてきた。
亀田親父は 乱暴な性格だが 相当な過保護だ。

親もいない
兄弟もいない
テレビのカメラもない
スポンサーもいない

そんな状況が普通なんだ。

そのなかで自分の生きる場所を見つけるんだ。
そこでつけた実力が本当の実力なんだ。

 猪木はやっぱしすごい人だ。

 

 

 

 

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