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南流山教室

管鮑の交わり

2010年1月26日

最近、先生のブログを見て、三国志のネタや中国のネタを振る生徒が増えてきました。

だけど、先生はそれに対して、メッチャクチャ語りたいのは山々なんだけど、語りだすと止まらなくなってしまうので、自制しています。(ごめんよ?) なので、その分、ブログで語りたいと思います。

 

今日は、そんな君たちに、中国の故事を、一つ語ろうと思います。

 

中国の春秋時代(紀元前770年?紀元前403年)の話です。日本は、まだ弥生時代の頃の話です。

中国の斉という国には管仲(カンチュウ)という宰相<※一番偉い大臣>がおりました。 国が海に面していたので、海産物の貿易を活発にして、国を豊かにし、強い軍隊を育てたという言い伝えがあります。そんな巧みな政治で、彼の主人・桓公は、覇者として他の国々の上に君臨することができました。また、彼は主人の桓公と、同じ位の財産を蓄えていましたが、非難する者はおらず、その優れた政策は、死後も実施されて、長く国を守ったと言われています。

 

さて、そんな管仲が宰相として力を発揮できたのは、友人の鮑叔(ホウシュク)のおかげだったと言われています。二人が斉の国に雇われた時、鮑叔は公子<※王子様>の小白(ショウハク)に、管仲はその兄の糾(キュウ)に、それぞれ仕えました。その後、後継者には小白が選ばれ、権力闘争に敗れた糾は死に、管仲も囚われの身になりました。

 

普通ならば、そのまま政治生命を絶たれるはずでしたが、鮑叔が強く管仲を支持し、助命をお願いしました。桓公となった小白は、鮑叔の意見を聞き、管仲に国政を担わせました。

 

のちに管仲は、鮑叔との交わりを思い出しながら、こんな事を述べたそうです。

 

……

若い頃に、鮑叔と事業を起こしたが、いつも私のほうが多くの報酬を得ていた。鮑叔は非難しなかった。なぜなら私が貧しいことを知っていたからだ。鮑叔に恩返しをしようと、別の事業を起こしたが、失敗して追いつめられた。しかし、彼は私を無能と思わなかった。時期が悪かったと笑っていた。

私は何度か仕官して、そのたびに解雇されてしまった。しかし、鮑叔は、私に力がないとは思わなかった。向こうの見る眼がなかったのだと慰めてくれた。

戦のとき、私は逃げたことがあったが、鮑叔は、卑怯だと言わなかった。なぜなら年老いた母親がいることを知っていたからだ。

公子・糾が敗退したとき、同僚は討ち死にした。私は生きて虜囚となったが、鮑叔は、恥知らずな男と思わなかった。私が天下のために働けないことを、何よりも恥と考えていることを知っていたからだ。

「私を生んでくれたのは父母だ。しかし私を知ってくれているのは鮑叔なのだ」

(司馬遷『史記』より)

 

いわゆる“管鮑の交わり”の逸話です。管仲の幸福は、ひとえに鮑叔という良友を持ったことです。自分のことをつぶさに知ってくれる友人の存在ほど、生きていく上での励みになるものはないと自分は思っています。

『史記』では「天下の人は、管仲の賢をほめるより、むしろ鮑叔の人をしる明をほめたたえた」とあります。

みなさんも、このような友人が持てればと思う一方で、今の友人に対して鮑叔のような良友であって欲しいと思います。

 

今、公立を第一志望としている受験生は、大きな山場を迎えようとしています。そんな時こそ、友達同士の励ましあいが支えになる事も…。頑張れ!受験生!